2015年5月16日土曜日

新連載!上早川の歴史と伝説(その1)「『早川』の由来と地勢」

上早川の歴史と伝説(その1)
『早川』の由来と地勢
昭和初期に西頸城郡教育会が刊行した『口碑傳説篇』には「早川の名」と題した次のような伝説が採録されています。
「上早川村下早川村を含む早川谷は、昔は字宮平の辺まで、海がくひ込んでゐたといふ。往来も廻り道よりは、吹原から能生谷の島道へ出る「越戸越」から西海谷の「釜澤越」が使はれたといふ。 竹内宿彌が北國巡視の時、此の地を通られ、あまりに川の流れが早いので、「早川」とつけられたと伝へられてゐる。」(話者 未詳 採録者 下早川校)
「早川」の由来とその地勢に関わる伝説で、川の流れが早いので「早川」というのは納得できますが、奈良時代に244年間も生きていたと伝わる伝説上の竹内宿彌が当地を訪れたというのは怪しい話です。早川谷が入江になっている絵図なども存在しますが、もちろんそれは想像図であり、仮にあったとしても人類史以前の話です。恐らく、「東海」、「土塩」などといった地名や焼山の噴火堆積物あるいはフォッサマグナ時代の貝化石を貝塚と誤認したことなどから、いつの時代かの知識人たちによって、そうした絵図や伝説が作られたのではないでしょうか。
※本記事、上早川の歴史と伝統」は上早川広報「ほこんたけ通信」の連載記事として掲載される内容を本ブログにも投稿しています。お問合せは上早川地域振興会事務局(上早川地区公民館内)025-559-2002までどうぞ。

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