2015年5月27日水曜日

上早川の歴史と伝説(その2)「八龍淵の主」

上早川の歴史と伝説(その
 八龍淵の主
前号と同じ文献に「八龍淵の主」と題した伝説が採録されています。要約すると「昔、音坂まで海が入り、茶臼山(焼山)と並ぶ八口山には八口という悪者が住み、大穴持神(大国主命・八千矛命)に成敗されたときに大蛇となり、八色の血を流して麓の池に入った。これが八龍淵で、そこから流れるのが八口川である。」とあり、その後日談には行基(奈良の大仏造営を指揮した奈良時代の高僧・河内生まれ)も登場する。
この伝説は、全くの荒唐無稽にも思えるが、「山」、「大蛇」、「池・淵」が登場する伝説の背景には、山崩れ、それによる堰止とその決壊による水害などがあったと言われ、全国に類似した伝説を確認できます。
三五〇〇年前(縄文時代後期)以来、八八七年(仁和三年・平安時代)、一三六一年(康安元年・室町時代)、一七七三年(安永二年・江戸時代)と大噴火を繰返した焼山の火砕流や土石流は、早川上流の沢を埋め尽くし、早川下流まで壊滅的な打撃をもたらしたことは確かなようです。そうした大災害の記憶がこのような伝説を生む背景になったとすれば、たいへん興味深い話であり、後世に語り伝える必要があろう。
記:木島 勉
◆次→上早川の歴史と伝説(その3)「土塩(つちしお・つっちょ)の由来」
■前→上早川の歴史と伝説(その1)「『早川』の由来と地勢」
※本記事、上早川の歴史と伝統」は上早川広報「ほこんたけ通信」の連載記事として掲載される内容を本ブログにも投稿しています。お問合せは上早川地域振興会事務局(上早川地区公民館内)025-559-2002までどうぞ。

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